News

2012年10月25日(木)

で、出たー! 計画にひずみが出たら根性論でがむしゃらに開発する若さ!! 総力を尽くしたPS2でのゲーム開発【電撃日本一】

文:電撃オンライン

 この“新川社長インタビュー”は、日本一ソフトウェアの設立20周年を記念する特設ページ“電撃日本一ソフトウェア”の連載コーナー。2013年の7月までの長期間にわたって、社長である新川宗平氏にさまざまな話をお聞きしていく。

 第8回目となる今回は、前回に引き続いて『マール王国の人形姫』についてクローズアップ。ハードがPS2へと移行した際の思い出話や、当時のゲーム制作の状況をお聞きしていく。


“電撃日本一ソフトウェア”

日本一ソフトウェア 代表取締役社長 新川宗平

 1996年に日本一ソフトウェアに入社後、営業、広報、開発と、さまざまな分野でゲーム制作に携わる。多くのタイトルのプロデューサーを務めながら、『魔界戦記ディスガイア』などではシナリオを執筆。2009年7月に同社の代表取締役社長に就任したのちも、『絶対ヒーロー改造計画』のシナリオを執筆、『魔女と百騎兵』のプロデューサーを務めるなど、ゲーム制作の現場に立ち続ける。


■ゲーム開発は常に総力戦! 日本一ソフトウェア黎明期のゲーム制作事情

――PSからPS2への移行期についてお聞きします。PS2での制作で苦労されたことはありましたか?

新川:『リトルプリンセス マール王国の人形姫2』の後、プログラマーの小林良綱が入社したんですが、彼はPS2への対応が速く、それまでとまったく違ったゲームシステムを次々生み出す天才的なプログラマーでした。PS2は当時、相当高いマシンスペックという触れ込みだったので、かつてない苦労が待っているだろうと構えていたんですが、小林のおかげですごくスムーズに開発できました。どんな作業もあっという間にやってくれたのは頼もしかったですね。

 また、小林は『天使のプレゼント マール王国物語』で『ラ・ピュセル 光の聖女伝説』や『魔界戦記ディスガイア』へと継承されていくゲームシステムの礎を作ってくれました。今はもう退社していますが、あの時期に彼がいてくれたことは、日本一ソフトウェアにとって非常に大きいことでした

“電撃日本一ソフトウェア”
▲2000年12月21日に発売された、日本一ソフトウェアにとって初のPS2用タイトル『天使のプレゼント マール王国物語』。最大20体以上のキャラによる戦闘や、魔法の属性やスキルレベルの存在など、のちの日本一ソフトウェアのタイトルを思わせるシステムも盛り込まれている。

――一般的に、PSからPS2に移行してゲームの制作規模が大きく変わったという話をよく聞きますが、日本一ソフトウェアではどうでしたか?

新川:我々がPS2で出した初のタイトル『天使のプレゼント マール王国物語』は、オムニバス形式で外伝的なニュアンスも強かったので作る側としては気楽にできました。もちろん、3Dグラフィックなど、新しい試みを取り入れつつだったので、トータルして考えると、結局いつもと一緒で総力戦でしたけど(笑)。

 当時は社員十数人の小さな会社で、どのタイトルも総力戦であたるのが当然だったので、しんどさはそれまでと変わりませんでしたね。

“電撃日本一ソフトウェア”
▲『天使のプレゼント マール王国物語』では、バラエティ豊かな5つのストーリーをプレイ可能。本編では語られなかったコルネットやクルセイルの冒険を楽しめる。

――当時の開発環境は、根性で乗り切るといった感じだったのですか?

新川:まあ、当時は根性重視でしたけど、今は根性だけでは難しいと思います。計画の中に根性を入れちゃうと、行き当たりばったりの無謀な計画になっちゃいますからね。計画はある程度整備されたものにしておく必要があると思うんです。

――なるほど。根性は最後の切り札という感じだったんですね。

新川:いえ、黎明期のころは最初から最後まで根性でした(笑)。

 ただ、今の時代は根性ではなく、計画を重視してスケジュールを組まないと、トラブルが起きた時にどうにもならなくってしまいますから。新しく入って来た社員たちに、昔のようなスタイルで仕事をさせようとは思っていません。とはいえ、ゲームを作るのは大変なことなので、きっと今は今で、別の形の苦労はあると思いますけどね。


【次回のインタビューは11月8日掲載予定】

電撃日本一ソフトウェア

(C)2000 NIPPON ICHI SOFTWARE INC.

関連サイト