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2012年11月13日(火)

“ジョージ・ワシントン”なら知ってる──『アサシン クリードIII』の劇中で出会えるアメリカ独立戦争で活躍した偉人たちのお話

文:イトヤン

■サミュエル・アダムズ
~イギリスから名指しで嫌われた“ボストン茶会事件”の首謀者~

『アサシン クリードIII』

 ボストン生まれのサミュエル・アダムズは、アメリカ植民地の権利を制限するイギリス議会を公然と批判し、独立の気運を全米に拡大させていった政治家です。彼がいなければ、独立戦争がボストンで開戦することはなかったかもしれません。ちなみに、フランクリンらとともに独立宣言に最初に署名し、後に第2代大統領となったジョン・アダムズは、彼の親類にあたります。

 アダムズは、フレンチ・インディアン戦争が発生する以前からイギリス本国がアメリカ植民地の権利を奪うことに反対する主張を繰り広げていました。やがて植民地から高額の税金を徴収しようとする動きが明らかになると、アダムズはこれを公然と批判するようになります。

 1770年に発生したイギリス兵による発砲事件に“ボストン虐殺事件”という過激な名前をつけて大々的に宣伝したのもアダムズです。また、1773年に“ボストン茶会事件”を実行した集団“自由の息子たち=サンズ・オブ・リバティ”をボストンで組織したのも彼でした。

 独立運動の先頭に立って、過激な言動を展開したアダムズは、イギリス政府にとっては目の上のコブのような存在でした。“レキシントン・コンコードの戦い”の後、トマス・ゲイジ将軍は民兵たちに向けて「イギリス王室に忠誠を示せば、反乱の罪は問わない」と告知しましたが、「ただし、サミュエル・アダムズとジョン・ハンコック(アダムズの支援者)は除く」と付け加えられていたほどです。

『アサシン クリードIII』

 一方でアダムズは、各植民地=州の権利を重要視し、中央政府に強大な権限が集中することに対して批判的でした。そうした考えもあって、アメリカ独立後は中央政府と距離を置き、マサチューセッツ州知事を務めるなど、地方の政治家として晩年を過ごすことになったのです。

→真夜中の騎行“ポール・リヴィア”(4ページ目)

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